• 奈良の女性専用ゲストハウス

もともと4月から開催の予定だった、この特別展。

ものすごく、ものすごく楽しみにしていたのですが、
コロナ禍の影響で「開催延期」となっていました。

もしや、、、このまま、他の博物館に離散してしまって、
幻展になってしまうのか?!などと、ひとりヤキモキしていました。

その話をしていたら、ある人に言われました。

「は?偽物なんか見て、何がオモロいん?」

白目むいて倒れるかと思いました。
でも、そう思う人もいるのも然り。

だけど、声を大にして言いたい!

「復元模造は偽物ではない」

大事やから、もう一回言います。
「復元模造は、断じて偽物とかいう軽い物ではない!!」

だって、

聖武天皇が愛でておられた時の姿が蘇るんですよ?!

何が偽物やねん!

昔、美人だったと自称しているオカンが、
昔の姿に戻るのと同じことですよ?!

あ、違うか。

そんなこんなで、もうかれこれ3回行きました。
でも、まだあと1回は愛でに行きたいです。

今日は、そんな話を、こってりします。

そもそも正倉院って何よ?

そこから掘っていきましょうかね?
知ってるわい!という方は、読み飛ばしてください。

正倉院というのは、今は宮内庁の管轄ですが、
もともとは「東大寺の宝物庫」でした。

覚えていますか?
校倉造、ネズミ返し、などなどのキーワード。
そう、アレです!

その正倉院の誕生には、こんなお話があるのです。

743年、皆の力を合わせて大きな仏さんを造立しよう!と
詔(みことのり)をあげられたのが聖武天皇です。

ちなみに、開眼供養は、譲位後なんですよ。
(歴史の試験で、よくはめられる落とし穴だったりします)

聖武太上天皇として法要に列席されていますが、
「その時の天皇は?」と聞かれたら「孝謙天皇!」と
元気よく答えましょう。

脱線はさておき、その東大寺・毘盧遮那仏プロジェクトの発起人である
聖武太上天皇が崩御されて、奥さんの光明皇后は、

彼の遺愛の品々を見ていると、彼を思い出して辛い…
だから、彼と縁の深い大仏様に捧げます。

というようなコメントで締めくくられている目録(それ自体が正倉院宝物でもある「国家珍宝帳」。ちなみに、現存する最古の”和紙”でもあります。)と共に、650件あまりの品々をドドーンと寄進されたのです。

天平勝宝八歳(756年)6月21日だったと言われる、聖武天皇の四十九日法要で、聖武太上天皇の冥福を祈って、ということでした。

国家珍宝帳の最後の一部分に、

「追感疇昔 触目崩摧」
(訳: 生前の様々な日々が思い出されて、心が砕かれる想いをしてしまう)

と書かれているんです。

なんとも、ロマンティック。

そうして、650件もの太上天皇遺愛の宝物を受け取られた東大寺さんは
それ用の宝物庫が必要になりますよね。

はい!それが、正倉院なのです!!

その後も、もろもろ増えて、9,000件もの宝物が貯蔵されていました。
もちろん、聖武天皇遺愛の品だけではなく、東大寺の法要で使われる大事な品々も含まれて、9,000件です。(東大寺の品々の例:毘盧遮那仏を開眼した筆、など)

そして、「勅封(ちょくふう)」
勅使(天皇からの直々の使者)によって封されるんです。
なので、気安く開け閉めできない重き扉な訳です。

正倉院展のすごさ

毎年10月下旬から11月中旬に開催されている「正倉院展」ですが、
昨年は”えぇとこを東京に持って行かれた” とザワザワしていましたが、
何をおっしゃいます!!去年の奈良博は、北倉からの出陳が多かったんです!!
すごい!!

あと、少しの衝撃で崩れるかも知れないから遠距離移動は無理、
よって絶対に奈良でしか見られないアイテム、というのも登場していました。
痺れました、ホント。

ちなみに、ざっくり言うと
・北倉: 聖武天皇・光明皇后ゆかりの品々
・中倉: 東大寺の儀式関連の品々、あと薬物類(香木も)
・南倉: 仏具類(一時、東大寺さんの裁量で開け閉めされていた時代あり)
という構成になっています。

あ、ちなみに、中倉の薬物で有名なのが「蘭奢待(らんじゃたい)」です。
ものっすごい貴重な香木なんですよね。しかも大きい。
仏様に良い香りをお供えするためのものなのですが、あまりにも貴重で珍しく
お供えされずに正倉院にしまわれていて、超絶有名になっています。
蘭には”東”、奢には”大”、待には”寺”、と、東大寺がその名に隠されている
雅な名前でもありますよね。

一度、その香りを聞いてみたいものです、、、
と思ったのは、私だけでは無く、それを実行した人たちがいます。
足利義満、織田信長、明治天皇などが、”蘭奢待をちょっと切って持って行った人”としても有名です。
天下人の中の天下人ですやん!
藤原道長・頼通親子も、ちょっと切ってると思うなぁ、、、(憶測)

では、正倉院宝物は何がすごいか。
実は「国宝」ではないんです。

国宝とは、根本的に性質が違うんです。

では、国宝の定義を見てみましょう。

① 国の宝
② 重要文化財のうち、特に文化史的・学術的価値の高いものとして文部科学大臣が指定した建造物・美術工芸品・古文書など。

デジタル大辞林

②に注目してください。国宝とは、”重要文化財”の中から、法的に(この場合は、文化財保護法によって)”文部科学大臣” が指定したものなんですよ。

一方、正倉院宝物は、大臣に指定されなくても、迷うことなく国の宝なんです。

なので、”国宝級イケメン” より ”正倉院宝物級イケメン” を推していきましょう。

ゴメンナサイ、また脱線しました。

そう、その正倉院宝物を毎年秋に見せてもらえる眼福な特別展、それが正倉院展なのですが、我々が、螺鈿紫檀五弦琵琶が見たい~、だの、紅牙撥鏤撥が見たい~、だの言っても、罷り通りません。「宝物のコンディション次第」なのです。

だって、1300年以上の年月を経て、脆くなっている宝物たちですもんね。

なので、毎年50件前後の(コンディションが)選りすぐりの宝物が出陳されています。

遥かなる時空を超えても、なお美しい宝物の数々に心酔できるのも良いですが、
なぜ、こんなに私が、今回の「よみがえる正倉院宝物」展でやいやい言うのか。

理由は、2つです。

1つ目は、冒頭でも触れました。
「聖武天皇が愛でておられた頃の姿が再現されている!」
この再現も、何となく似せる、とか生易しいものではありません。
材料、製法、すべてを忠実に再現模造するのです!
それ、もう本物やん!

2つ目は、圧倒的な展示数の違い!
正倉院展(現物:約50件前後。折に触れ、復元模造も含まれる)
今回の特別展(その数なんと、100強!!)
素晴らしい見ごたえ!!そりゃ、全角になるわ。

私ね、初めて行った日、9:30から入ったんですけど
気がついたら、13時過ぎていました。ビックリでした。

なぜ復元模造?

奈良は比較的災害の少ない地です。
奈良の人は、台風などの大型低気圧や突如やってくる激しい雷雨が
ふんわり奈良市を避けていく様を”大仏バリア”って呼んでたりします。

とは言え、地震や水害などの天災は避けられないものです。
それによって正倉院宝物がダメージを受けた場合、「もう、どんなんだったか分からない、、、」という事態にならないように。

という理由と、

途絶えていた古代の製法を、エックス線などの解析を駆使して蘇らせ
その技術を継承していくという手掛かりにもなるんです。

もう、ロマンが溢れていますよね?

外から見ていたら、
「たぶん、こうやって作ってたんやろうなぁ~」
と思っていたものが、エックス線をあてることで
「えぇ?!何この作り方?!」
という発見があったりするんですもん。

ホンマね、スゴイです。

あぁ、

もう、

まだ、品々の話にも至っていないじゃないか。

でも、もう限界だ。

次回予告: せめてレポートらしく
今度は出陳の品々に関する、私の溢れて迸って滾りまくっている愛を
がんがん綴っていきます。



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