今年も開始早々駆けつけてきました。
素晴らしい正倉院宝物の数々に時間を忘れて、うっっっっとり💖
そんな私のレポートです。
もともとの歴史的な話については、別ページ(「よみがえる正倉院宝物」のレポート)で触れていますので、よかったらご一覧ください。
奈良博が概要などを説明されたページもありますので、そちらもどうぞ→ 奈良博公式ページ
会期:2023年10月28日(土)~11月13日(月) ※会期中は無休です
開館時間:8:00~18:00(金土日祝は20:00まで)入館は 1時間前まで
一般:2,000円
高校生、大学生:1,500円
小学生、中学生: 500円
今回も時間予約制ですので、事前にチケットを購入しておきましょう。
チケットと一緒に準備しておきたいのは、「オーディオガイド」です。
会場でももちろんレンタル可能ですが、私はスマホアプリ「IMuT いつでもミュージアム・トーク」に正倉院展のガイド(650円)をダウンロードしてから行っています。
待ち時間からゾーンに入り、会場に到着した時には完全に仕上がった状態で、正倉院展に没入できるので最高なのです。
何が良いって、1回ダウンロードしたら何度も聴けるから、帰ってからの復習にもピッタリなんですもの。
当日、イヤホンを忘れたら最悪なので気をつけてくださいね。
あとは、出陳リストのチェックなのですが、これは去年のレポートで触れていますので、良かったらご参考までに 👉 去年のレポート
今年は奈良博の特別講座に当選したので、みっちり話を聴いてきました。
この特別講座の内容を踏まえて宝物を観覧すると震えるので、是非シェアさせてください。
まず転輪聖王(てんりんじょうおう)とは、『正しい法の輪を世界に転じる聖なる王』を指す古代インドの帝王観です。
お釈迦様が生まれた時、アシタ仙人が赤ちゃんのお釈迦様を見て泣かれたんですって。
「え?なんで?何か不吉なことでも??」と問うと、アシタ仙人は、この子は『家にとどまれば転輪聖王となり、出家すれば悟りを開く』のに、その立派になられた時に自分はもうこの世にいないと思うと悲しい・・・と言って泣いてはったんだそうです。(過去現在因果経のお話)
転輪聖王は、七つの宝に恵まれます。
輪宝(政治力)、珠宝(財力)、女宝(王妃)、居士宝(経済力)、将軍宝(軍事力)、象宝(軍備)、馬宝(軍備)
もう完璧です。
その転輪聖王は四種類いてはるんです。
ちなみに、アショーカ王は鉄輪王として閻浮提(世界中)に84,000もの仏塔を建立して、布施をして布施をして布施をしまくったことで有名です。
仏教の世界観の中で、私たちが住む場所が閻浮提(えんぶだい)という島です。
古代の仏教の世界観では、世界の真ん中には須弥山(しゅみせん)がどぉ~んとそびえたっていて、その周りに4つの島があるんです。
閻浮提は、その4つの中のひとつで、南に位置していてほぼ逆三角形のような形をしているんですって。完全にインドですよね。
その閻浮提(インド)中に仏塔を建て仏教を尊重し、国土も全て布施し尽くしたアショーカ王は、最期の時まで、その片手に持っていた半分のマンゴーまで布施をしようとしはったんですって。
アショーカ王の崩御後に、アショーカ王の息子が素晴らしい宝と交換して国土を買い取り、真の布施が完成したそうです。まさにその宝こそ、国土と等しい価値を持った国家の珍宝!
崩御された後、四十九日という節目で、聖武天皇の御遺愛の品々を盧舎那仏に献納されました。
その献物リストが「国家珍宝帳」な訳です。
仏法僧を厚く敬い、大仏造立も民衆の力を合わせて成し遂げ、大いなる布施で締めくくられるのって、まさに転輪聖王ですよね?
その国家珍宝帳の筆頭に掲げられているのが、九条刺納樹皮色袈裟(くじょうしのうじゅひしょくのけさ)【北倉】な訳ですよ!!もう、この御袈裟に対する並々ならぬ想い、籠もっていますよね?
本来、袈裟というのはハギレなどを継ぎ合わせて作るものなんです。
しかも華美になると追い剥ぎに狙われるかも知れないので地味な色で・・・
ということで、使わなくなったボロ布を洗って清めて縫い合わせた糞掃衣(ふんぞうえ)という袈裟、を・・・ シルクで作ったのが、この宝物です。
シルク!
シルクを染色し、また褐色をのせて、ほぐして、継ぎ合わせて作った、という次第です。なんという最高級糞掃衣・・・
また樹皮のようなデザインにしているのにも意味があるんです。
国清百録(こくせいひゃくろく)という中国の文書によると天台宗の開祖・智顗(ちぎ)が煬帝に授けたのが樹皮袈裟で、それは梁の時代に武帝が外国(おそらくインド)から献上されたものだった!という故事から、由緒ある樹皮色の袈裟を作るという事になったのかも知れません。
梁の武帝も仏教の信仰に厚く、皇帝菩薩と呼ばれていたし、もう、ストーリー性が抜群なのです。
この樹皮は、カリンの樹皮に似ていて、自然の美しさがさりげなく織りなされているようで素敵だし、もしかしたら山林修行をする際に賊に襲われないようカモフラージュの役目も果たしていたのかも・・・
また、天平勝宝八年(756)四月に、大仏殿の前で聖武太上天皇の十八種物(しゅもつ)に対する儀式があったのだそうです。
十八種物とは、具足戒をうけて正式な僧侶になった者が持つ十八種類の法具のことで、この儀式は聖武太上天皇が正式に僧侶になったことを知らしめるものだったのかも知れません。
中阿含経には「もし転輪聖王が髪を剃って袈裟を着るならば必ず如来になる」とあります。
まさに崩御の前月に、正式に僧侶となり如来になる準備が整い、そして、その着る袈裟とは・・・ と思うと、こちらの御袈裟!スゴすぎませんか??(大興奮)
具足戒をうけて僧侶になると、毎月「布薩」という、きちんと戒律を守っているかを自省する集まりが行われます。
この時、必ず水で手を浄め、その手をふくのが十八種物にもある手巾(手ぬぐい)です。
ずっと用途不明だった、こちらの小架は、この手巾をかけるものだったんじゃない?と言われ始めているそうです。
サイズ的にもかなり小ぶりで、聖武太上天皇は具足戒をうけて翌月には崩御されているので、実際に使うというより、供養の意味合いが強いのかなぁ?と思えるような豪華さ。
もう、ため息が出るような美しさです。
私が愛してやまない撥鏤(ばちる/象牙を藍などで染めた飾り)や木画(もくが/木を組み合わせて作ったデザイン)が極小サイズに凝縮している超絶技巧に大興奮して、単眼鏡が鼻息でめちゃくちゃ曇りました・・・
特に、非常に薄い玳瑁(たいまい/亀の甲)に裏打ちされた金箔が、光の加減で艶っぽく光る感じが最高!!もう、何から何まで美麗で、実用性というより芸術性が強いものでした。
また、足の部分の唐草のような彫刻も見事で、非常に動的な、生命力を感じるような表現で、しゃがんで眺めながらうっとり・・・
ホントに何度見ても興奮しました。(出口付近まで進んだのに、もう一度見に戻るぐらい)
もともとこういう木だったの?と思えるような、自然でいて完成度の高い合子(ふた付きの容器)
これは鑑真和上に縁の深い戒壇院にあったものらしく(下に「戒壇」って墨で書かれているんです)恐らく鑑真和上と一緒に来日した中国の職人さんが作ったんだろうなぁ・・・ このモチーフ、唐招提寺の講堂におられる四天王さんの甲冑に似たものがあって、鑑真さんの存在感がじわっと感じる宝物なのです。
彫刻の具合が本当に素晴らしくて(そして、展示の光の当て方も最高で)陰影が際立つことで立体感が強調されて、もう、宝相華ってこれのこと違います?って思えるほどでした。
上の小架と近くに並んでいたので、この付近を結構な時間うろうろしていました。
幡周辺の宝物に目を奪われました。
聖武天皇の一周忌には約500もの幡が掲げられたそうです。
え?1年でこのクオリティをそんなにたくさん作れんの?というぐらい、残った幡の残欠は非常に凝ったデザインでした。
だって、この幡脚端飾って、ひとつの幡に何本もついているピラピラ~っとした脚部分の端っこですよ?それが、こんなに豪華なんですよ?てか、何個必要だったんですか?え?何人で作ったの?
もう頭の中がごちゃごちゃするぐらい豪華!美しい!!
けど、とんでもない労力なんやろうなぁ・・・だって一周忌なんだから、納期は1年・・・ ヒエェ
この幡も、ストーリーがありまして、これまた灌頂経に記された金輪聖王の葬法に則った荘厳の仕方なんです。
灌頂幡 1 + 道場幡 49 で 1組。 それを、10組?
聖武天皇は金輪聖王だった、そして、具足戒をうけて正式に僧侶となられたので、今頃は如来になられているだろう・・・ という想いが伝わってきました。
あぁ、ホントに、もう、最高でした。
とりあえず、思いのたけを全部打ち込みましたが、読みにくいと思うので、また日を改めてジワジワと推敲します。まずは、出来たてほやほやの情熱をくみ取ってください。